古賀茂明「安倍総理の苦境で受動喫煙対策を再び武器にする小池都知事」

2018.5.7 07:00  AERA dot.  https://dot.asahi.com/dot/2018050600004.html

 

 連休明けからようやく国会が正常化され、重要法案の審議に野党が復帰する見通しとなった。森友、加計、自衛隊日報、財務次官セクハラなど政府の不祥事が相次ぎ、その真相解明がほとんど進まない中では法案審議などできないという野党の主張ももっともであるが、一方で、6月20日までしかない会期の中で、国民の前でしっかりした議論を急いで欲しい課題はいくつもある。

 法案審議の中で、野党が論戦のターゲットとしているのは、働き方改革法案だが、重要な法案は他にもある。中でも最も緊急度が高いのが受動喫煙対策法案だと言ってもよいだろう。

 この問題は2月19日の本コラム(※「大詰めを迎えた受動喫煙防止法案 安倍総理と小池都知事のどちらが姑息?」)でも取り上げたが、ここへ来て、様子見に終始していた小池百合子東京都知事が、安倍晋三総理に戦いを仕掛ける動きに出た。

 昨秋の衆議院選で一敗地にまみれた小池都知事が、どん底からの復活劇の足掛かりとして選んだのが受動喫煙対策だったということだろう。

 一方、この問題は、国民の健康に直接かかわり、また、日本の国際的名誉にかかわる問題でもある。

 安倍政権が今国会に提出した「受動喫煙防止法案」は、ほとんど意味のないザル法である。その内容のポイントを確認しておこう。

 まず、学校、病院、行政機関などは「敷地内」原則禁煙とするが、屋外の喫煙場所設置は認める。

 次に、最大の焦点となっている飲食店については、屋内を原則禁煙とするが、喫煙専用室設置は認める。さらに、資本金5000万円以下の中小企業が経営する客席面積100平方メートル以下の既存店は「喫煙可能」などの標識を掲示するだけで店内喫煙を認める。ただし、未成年者の立ち入りは禁止する。

 違反者には違反の内容によって、最大30万円以下または50万円以下の罰金などが科される。

 全面施行は東京五輪・パラリンピック開催前の2020年4月を目指す。

 この内容では、はっきり言って落第だ。

 

 国際オリンピック委員会(IOC)も世界保健機関(WHO)も「たばこのない五輪」を求めている。最近のオリンピック開催国(カナダ、英国、ロシア、ブラジル)は飲食店を含めて「屋内禁煙」を法律や条例で定めた。公衆の集まる場(public places)すべてに屋内禁煙義務の法律がある国はすでに55か国にのぼる。オリンピックを開催するのに喫煙室での喫煙を認めるという非常に緩い屋内禁煙さえ実施できないということになったら、日本は世界に恥をさらすようなものだ。

 そもそも、受動喫煙は肺がんになるリスクを1.3倍高め、日本では年間1万5000人が亡くなっている。人の生命・健康に関わる大問題だ。さらに、こうした健康被害による医療費は年間3000億円と推計され、国の財政、すなわち、国民の財産にも大きな損害を与えている。したがって、受動喫煙ゼロを目指すことは、オリパラがなくても、日本にとって議論の余地などない政策課題である。

■利益団体にめっぽう弱い安倍総理

 上記のとおり、やるべきことははっきりしているのに、これまで法案さえ出せなかったのは、喫煙に関わる利益団体が自民党や公明党に圧力をかけているからだ。安倍総理は、実は、利益団体にはめっぽう弱い。アベノミクス第三の矢である成長戦略で全く成果が出せないのは、規制改革などをやろうとするときに既得権グループが反対の声を上げると、すぐにそれに負けて改革の提案を取り下げてしまうからだ。国家戦略特区の有識者会議の有力メンバーと会食した時、「安倍さんは改革派じゃないことははっきりしている。改革は口先だけだ」とこぼしていた。

 受動喫煙対策で本格的規制を導入しようとすれば、葉たばこ農家、たばこ販売店、JT、そして、膨大な数の飲食店業界が反対する。財務省もたばこ税収が減り、最重要天下り先のJTが困るから、抵抗する。こうした利益団体の圧力を受けた自民党内の族議員たちも反対姿勢を強め、それは、安倍総理の自民党総裁三選に悪影響を及ぼす。私は、ただでさえ、利権に弱い安倍総理は、こうした反対運動と戦う勇気など持ち合わせていないだろうと見ていたが、その見立てが正しかったことが、今回の法案提出ではっきりした。

■小池都知事との姑息な駆け引き

 昨夏のことを思い出していただきたい。東京都の小池都知事は、受動喫煙対策条例制定を昨年7月の都議選での争点化を狙って公約に掲げた。利権に弱い安倍総理に対抗するには格好のテーマになると読んだのであろう。小池氏らしい人気取り政策だ。

 

 これに対して、昨秋、解散総選挙を思案していた安倍総理は、都議選と衆院選のことを考えて、評判が下がる骨抜きの受動喫煙対策法案を推進するのは得策ではないと考え、法案内容の決定を先送りした。先送りすれば強い批判は起きず、選挙の争点にもなりにくいという読みである。小池都知事のパンチをかわしてクリンチで応じたというところだ。

 衆議院選挙では、小池都知事の独り相撲で、安倍自民大勝、小池希望の党大敗という結果になった。衆院選が終わり、19年の統一地方選と同年夏の参議院選挙までは大きな選挙がないという状況になると、安倍総理は元々狙っていた骨抜き法案で進める方針を明確にした。選挙戦が終わった小池都知事も夏の積極姿勢から一転、国の法案を見てから決めると言って、当初示していた厳しい条例の提出をやめてしまった。この時は、「やはり、昨夏の公約は単なる人気取りだったのか」と支持者を落胆させた。

 ちなみに、中小飲食店業界は自民党のみならず、公明党の重要な支持基盤でもある。小池都知事としては、都政における公明党の協力を得るために、受動喫煙対策を取引に使おうと考えたという面もあるのだろう。いずれにしても、この時点で、日本の受動喫煙対策は、国際標準からほど遠いものになる可能性が非常に高くなった。

■受動喫煙対策を再び武器にした小池都知事

 小池都知事が受動喫煙愛策で大幅に後退したのを見た安倍総理は、冒頭に紹介したようなとんでもない骨抜き法案を3月9日に国会に提出した。小池都知事が戦いを挑んでこない限り、この法案は何の問題もなく通ると踏んで、安心していたのではないだろうか。

 一方、昨秋の衆院選大敗以来、事実上の謹慎状態だった小池都知事は、3月まではおとなしかったが、春になって、安倍政権の支持率が急落し始めると、再び態度を一変。4月20日に受動喫煙条例の骨子案を公表した。3月までは、国の規制との整合性を図ると言っていたにもかかわらず、その骨子案は、安倍政権の法案よりもはるかに厳しい内容のものとなっている。そのポイントは以下のとおりだ。

 学校、病院、児童福祉施設等、行政機関などは敷地内禁煙(屋外喫煙場所設置可)とするが、幼稚園、保育所、小学校、中学校、高等学校等の施設は屋外喫煙場所設置も不可とする

 飲食店などでは、原則屋内禁煙(喫煙専用室内のみで喫煙可)とする。小規模だからというだけでの例外は認めない。 

 

 ただし、一定の条件を満たした喫煙を主目的とする施設(いわゆるシガーバーやたばこの販売店等)については、別の類型を設け、喫煙禁止場所としない。

 原則屋内禁煙の施設であっても、客席面積100平方メートル以下の個人又は中小企業(資本金5千万円以下)が経営する店で、かつ従業員を使用していない場合は、禁煙・喫煙を選択すること ができる。

 喫煙可能な場所(喫煙室など)への子どもの立ち入りは禁止する。

 2020年オリンピック・パラリンピック開催前には、罰則適用も含め、全面的に施行予定。

 政府の法案と都条例骨子案の最大の違いは、飲食店について、中小企業が経営する小規模店でも喫煙専用室を設けない限り禁煙とすることだ。その代わりに、従業員がいない小規模店には喫煙を認める。禁煙になる飲食店は政府の法案では全国の45%が対象だが、都条例では84%に拡大するという。また、保育所や学校などについても、政府案は屋外に喫煙場所を設けられるが、都条例ではこれを認めない。

 一見して、都の条例骨子案の方が受動喫煙対策を真剣に推進しようとしていることがわかる。もちろん、小池都知事は、これを政府対東京都という対比ではなく、安倍対小池という政治家同士の比較の図式に持って行きたいと考えているのだろう。東京都の公表資料には、『「人」に着目した対策』というフレーズが2ページにわたり赤字の太文字で大書されている。また、「子どもなど20歳未満の人を守る」「従業員を守る」というキャッチフレーズも強調されているのが目を引く。そこには、オリンピックやラグビーワールドカップ対策という趣旨は全く書かれていない。

 これは、「東京大改革」を旗印に大躍進した小池都知事が、昨年の衆議院選での「排除いたします」発言で広がった自身に対する「上から目線」「冷酷」というイメージを払拭し、「人にやさしい、弱者にやさしい政治家小池」というイメージを構築するための戦略だと考えられる。この受動喫煙対策はそのための最適なテーマだと判断したのであろう。実は、2月19日の本コラムの最後の文章として、私は、市民の声を代弁するつもりで、「いつになったら、日本は、真に「人にやさしい」先進国型のリーダーを見出すことができるのだろうか。」と書いた。小池都知事の作戦は、こうした市民の声に応える形になっているのは興味深い。人気取りの才能の一端が垣間見えた気がする。

 

 なお、東京都の条例骨子案では、罰則が最大で5万円の罰金となっている。悪徳業者から見れば、5万円払えば免罪符になり、喫煙可の店を低コストで営業できるということになる。二回目以降の違反には大幅な罰金額の引き上げを行うなどの対策が必要なのではないだろうか。

■全面禁煙にすれば、コストもかからず即日施行可能
 
 安倍対小池の対決と言っても、残念ながら、今後の論戦は国会と都議会に分かれ、同じ土俵では戦えない。小池都知事の頑張りは、彼女のイメージアップにはつながっても、結局は、数の力で優る安倍自民党と公明党の骨抜き法案を止めることはできない。

 そこで、問われるのが、野党のこの問題に対する姿勢だ。野党は、国会審議を拒否する間、森友、加計、日報問題や憲法改正などについては、国会外での街宣などを積極的に展開した。しかし、残念ながら、受動喫煙対策についてはそこまで積極的な姿勢は見られない。政府案を上回る国際標準の厳格な規制を実現するための対案を出す動きも見えない。

 これは、おそらく、厳しい法案を出すと中小飲食店業界から反発が出るので、国会で控えめに政府批判をしてアリバイ作りをするだけにとどめておいた方が得策だと考える議員が多いからではないだろうか。現に、立憲民主党議員の中にも、中小零細業者への配慮が欠かせないという意見を述べる者がいる。

 実は、室内での分煙を認めるから、そのための設備投資が必要になり、零細事業者の対応が困難になるのであって、全面禁煙にすれば、何の対策もいらず、即日実施可能なはずだ。それを理解していない議員がかなり多いのではないか。WHOも分煙では受動喫煙を防げないという見解を示している。

 立憲民主党が中心になって、全面禁煙の法案を提出し、国会外での街宣活動などを通じて世論喚起に努めてはどうだろう。いつも世界に後れをとっている日本だが、オリンピック・パラリンピックを迎える時くらい、先進国の仲間と認めてもらえるような環境を整えるべきだと思うのだが。