(ニッポンの宿題)なくならぬ受動喫煙 岡本光樹さん、望月友美子さん

2017年3月15日05時00分 朝日 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12841667.html 

 

 お店で、職場で、そして自宅で。たばこを吸う人からの煙や有害物質に苦しめられる受動喫煙が、なくなりません。長い間、政府の対策は強化されず、世界保健機関(WHO)から「世界最低レベル」と指摘される始末です。被害がなくなる日はくるのでしょうか。


 ■《なぜ》税収や献金、法整備阻む構造 岡本光樹さん(弁護士)

 日本で最初に受動喫煙が大きく注目されたのは、1980年に国鉄(現JR)の利用客が国などを訴えた嫌煙権訴訟です。まだ禁煙車が少ない時代で、苦痛に対する賠償などを求めました。87年の判決は、我慢の範囲(受忍限度)内として退けましたが、社会の関心を呼び、鉄道事業者が自主的に禁煙車を増やす動きにもつながりました。それでも90年代は、まだまだ、たばこに寛容な国でした。

 大きかったのは、2003年施行の健康増進法です。多数の人が訪れるホテルや店に、受動喫煙を防ぐ努力義務ができました。たばこが健康を害するという研究が世界中で積み重なり、各国にたばこ削減策の実行を求めた「たばこ規制枠組み条約」ができ、日本も批准して05年に発効しました。

 このころから、受動喫煙の被害を訴えた裁判でも勝つ流れが生まれ、官公庁や企業は職場の分煙などを進めていきます。なにより変わったのは、人々の意識です。社会全体に「受動喫煙は防止すべきもの」という認識が広がり、「たばこは格好いい」というイメージも崩れてきました。

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 でも、条約の発効から5年以内に必要だった、公共の場での屋内全面禁煙の罰則つき法整備は、世界で約50カ国が導入しているのに日本はいまだ果たしていません。分煙も禁煙も、不完全なまま。対策が遅れてきた最大の原因は、日本という国の特殊性にあります。

 ほとんどの国で、たばこ会社はあくまで民間企業で、政府は規制する立場です。ところが日本は、日露戦争の戦費調達のために国がたばこ専売を始めて以来、国が専売公社(現JT)を持ち、売る側にも回ってきました。たばこ税収やJTを守る財務省と、健康を守る厚生労働省で、政策が矛盾している。たばこ業界から献金や選挙支援を受ける議員も多く、法整備が進みにくい構造なのです。

 特に対策が遅れているのが、飲食店です。吸いたい客の欲求を優先し、吸わない客に我慢させている店が、いまだに大半です。両方に来てもらおうと、名ばかりの不完全な分煙の店も多い。そもそも、加害者である吸う人と、被害者である吸わない人を「共存」させること自体がおかしな話で、これでは加害の「温存」です。店は従業員にとっては職場で、労働者の人権問題でもあります。

 分煙にしたオフィスも、問題は終わっていません。喫煙室からだけでなく、吸う人の服や吐く息からもにおいや有害物質は漏れており、苦情の声は絶えません。たばこを他人に全く迷惑をかけずに吸うのは極めて困難で、「迷惑をかけていない」という意見の多くは思い込みではないでしょうか。

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 さらに最近、私が受ける相談で増えているのが、住宅やマンションでの受動喫煙です。ベランダや換気扇の下で吸っても、近くの家の窓や24時間換気の吸気口から煙は入る。団塊世代が退職し、吸う場所が家に移ったことも影響しています。ベランダや公園で朝から晩まで吸う人が増え、周りの大人や子どもが苦しんでいます。ベランダで吸う人が、近所から訴えられた裁判で負けた例もあります。

 いま、五輪を控えて法規制の強化が検討されていることは歓迎です。本当は例外なく屋内全面禁煙にすべきだし、いずれは製造販売を禁じるべきですが、現状では、小規模なバーなどをのぞいて飲食店も原則屋内禁煙とする、厚労省の規制強化案を支持します。

 ただ、五輪の後も規制を強めていくことが必要です。豪州などでは子どもが乗るマイカー内の喫煙を罰則つきで禁じているように、プライベートな空間でも、特に赤ちゃんや子どもは社会でルールをつくり、守っていくべきです。(聞き手・吉川啓一郎)

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 おかもとこうき 1982年生まれ。大手法律事務所で企業買収などを手がけた後、独立。第二東京弁護士会受動喫煙防止部会長。

 ■《解く》分煙、かえって禁煙の妨げに 望月友美子さん(医師、日本対がん協会参事)

 日本の喫煙率は2015年に約18%でした。05年から10年間で約6ポイント減りましたが、10年以降は下げ止まる傾向を見せています。22年度までに12%にする政府目標の達成は、容易ではありません。分煙の名の下につくられた喫煙室は逆に禁煙の妨げになり、喫煙率は下がらなくなるのです。

 東京五輪を控え、政府は健康増進法を改正して、罰則をつけて受動喫煙対策を強化する方針です。でも、飲食店やホテルなど多くの施設で喫煙室の設置は認められています。設置に多額のお金を投じた経営者は、再び費用をかけて撤去しようとは思わないでしょう。

 部屋に出入りすれば煙が漏れ出すので、受動喫煙を完全に防ぐことはできません。公共の場を禁煙にすると、路上で吸う人が増えると心配する人もいるかもしれませんが、まずは屋内の全面禁煙を優先すべきです。たばこ規制枠組み条約の指針でも、これを唯一の方策としています。

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 たばこを吸う人も吸わない人も、健康を守るためには喫煙場所そのものをなくすことです。たばこ会社の分煙キャンペーンは、吸える場所を提供することで、自らが生き残ろうとするものです。

 たばこの消費量を抑えるのに確実な手段は、増税です。日本のたばこは国際的に安く、若者でも買えますから、せめて1箱1千円にすべきです。

 カナダオーストラリアのように、パッケージに肺がん脳卒中の写真をつけるのも効果的です。日本では財務省が「不快感を与える」と反対し実現しません。包装は美しくデザインされ、「あなたにとって肺気腫を悪化させる危険性を高める」などとする注意文が下の方に書かれているだけです。

 自動販売機に代わり売り上げを伸ばしているコンビニエンスストアでは、レジの目立つ所にたばこが並べられ、まるで宣伝ポスターのようです。たばこは目に見えない所に置き、その存在を「当たり前」にしないこと。英国やオーストラリアでは実現しています。

 医師をはじめ医療スタッフは、あらゆる場で禁煙に誘導すべきです。健康診断や外来で、検査技師や看護師が採血しながら禁煙を勧めるのも効果的でしょう。ある病院では、受付係から警備員までが患者に「禁煙を続けてください」「禁煙外来の予約はしましたか」などと声をかけています。

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 そもそも禁煙外来があり、治療や薬には医療保険も適用されるという基礎的なことも、あまり知られていません。オーストラリアなどでさかんな電話相談(クイットライン)も効果があります。

 決意してもやめられないのは、ニコチン依存が原因です。自分だけで何とかしようとしても、限界がある。迷わず、専門家の力を借りることができるよう、態勢を整えなければなりません。

 最近、たばこより害が少ないかもしれないと言って、加熱式電子たばこに切り替える人もいます。しかしニコチンや添加物を含んだ材料を加熱しガスを吸えば、同じくニコチン依存になります。吸った人の吐く息や器具の一部から有毒なガスがもれるので、周りの空気を汚すことにもなります。

 厚労省研究班は、受動喫煙で年1万5千人が死亡していると推計します。肺がんはもちろん、煙に含まれる有害物質や発がん物質が血液に溶けて全身に回るので、脳卒中乳がん、心筋梗塞(こうそく)、乳幼児突然死症候群(SIDS)などを引き起こす可能性があります。

 公共の場や職場での例外なき屋内禁煙を実現し、究極的には吸う人を減らし、たばこのない社会を実現する。これが、世界保健機関やたばこ対策の進んだ国の考え方です。日本は、はるかに遅れています。(聞き手・桜井泉)

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 もちづきゆみこ 1955年生まれ。厚労省や世界保健機関(WHO)、国立がん研究センターなどで、たばこ政策を担当した。