10年前から屋内完全禁煙を実現。英国はどのように反対者の声を乗り越えたのか。


2017年05月02日 14:27 小林恭子 livedoorニュース http://blogos.com/article/221092/ 


2020年の東京五輪に向けて、日本では公共空間での屋内完全禁煙を実施するかどうかで政界がもめているという。

英国の場合、屋内完全禁煙は10年ほど前から実施されている。導入直前には著名人らが先頭に立って喫煙の自由を求める反対運動があったが、いざ導入されてそれが普通になってみると、なぜもっと早く導入されていなかったのかと不思議な思いがする。

電車、バスなどの公共交通機関、会社、レストランやパブなどの飲食店が完全禁煙で、車を運転する際に18歳未満の児童が同乗している場合も禁煙だ。

ロンドン市内を歩いていると、オフィス街のビルの前でタバコを吸っている人をよく見かける。社内ではタバコを吸えないので、喫煙者が外に出て吸っているというわけだ。

英国ではどこに行っても禁煙が普通になっているので、日本に帰るたびにカフェやレストランに入ると喫煙もできる席に通されたりすることを不便に思っていた。完全禁煙制度になっていると、「禁煙=当たり前」であり、「喫煙席」の選択肢はない。

逆に言えば、喫煙者からすると日本は「天国」と言ってよいのかもしれない。街中にはところどころに喫煙用コーナーが設置されており、英国と比較すれば喫煙者と喫煙をしない人が同じ程度の権利を与えられている印象がある。

タバコひと箱の値段も英国に比べるとはるかに安い。日本ではひと箱250円から400円台だが、英国では平均的な価格が20本入りで7・35ポンド(約1000円)。タバコ税が上がるため、5月20日以降は8.82ポンド(約1270円)以上になる見込みだ。

また、タバコの箱には「喫煙はあなたを殺す」(Smoking kills)などのどっきりするようなラベルが貼ってある。健康被害を警告するラベルを貼ることがタバコ条例で定められているからだ。貼ってある面の面積の65%であること、目立つ場所に貼ることなど細かく規定されている。

ラベルは悪影響を警告するばかりか、喫煙を止めるための情報(税金でカバーする国民保健サービス=NHS=が運営するウェブサイト「スモークフリーNHS」)を見るように誘導することも定められている。

 
タバコを吸わない人にとっては楽だが、喫煙者にとっては生きにくい、何とも息の詰まるような状況かもしれない。

英国で反喫煙ムードが次第に醸成されていったのは、医療関係者が中心となったロビー活動が功を奏し、健康への悪影響に対する認識が高まったためだ。当初は喫煙する人の健康が問題視されたが、喫煙者の周囲にいる人つまり受動喫煙でも健康に悪影響があることが分かってきた。そこで、禁煙の範囲が年を追うごとに拡大していった。

医療関係者による禁煙への動き

英国で禁煙の空間が拡大していった過程を振り返ってみよう。

1950年、「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」誌に喫煙と肺がん発症の関連を裏付ける報告書の速報が掲載された。52年発表の論文は関連性が「実際に存在する」と結論付けた。

1962年には英国内科医師会が喫煙は肺がん、気管支炎、心疾患にもつながっているとして、男性の70%、女性の43%という喫煙率を減少させるよう求めた。具体的にはタバコの販売、広告、公的空間での喫煙の厳格な規制を提案した。

その後も医療関係団体による喫煙行為を減少に向かわせる運動が続き、1960年代半ば、政府はテレビでタバコの広告を流すことを禁じた。71年、内科医師会は市民に喫煙の危険性を周知するためのロビー団体「アッシュ(ASH)」を発足させた。

1983年、内科医師会が受動喫煙の危険性を初めて発表する。これに沿って映画館でのタバコの広告が禁止された。ロンドンの地下鉄が禁煙措置を取ったのが1984年だ。

80年代から2000年代にかけて、タバコ業界からの圧力をよそに、医療関係者が中心となって喫煙規制を求める複数の運動組織が喫煙と健康への悪影響を結びつける情報を発信し、政府に規制を厳格化させるよう動いた。

2002年、英医師会(BMA)は受動喫煙を防止するため、公的空間での禁煙を呼びかけた。この時までに、タバコ問題は喫煙者の健康問題であるばかりか、その周囲にいる人の健康問題として認識されるようになった。

公的空間での禁煙措置の法制化には飲食業界からの反対もあって時間がかかったが、2004年、隣国アイルランドが職場での禁煙法を実現させる。英国は世界保健機構(WHO)のタバコ規制の枠組みに批准し、これに沿った国内法の実施が必須となった。

05年3月には、医師会が受動喫煙で毎年1万1000人が亡くなっているとする報告書を出した。同年6月、スコットランド地方で翌年から公的場所での禁煙を実施する法案が可決された。

イングランド地方でも07年7月から同様の禁煙措置が取られることが議会で決定された。ウェールズ地方、北アイルランド地方もこれに続き、英国全体で禁止となった。

06年ごろまでに、多くの国民が公的場所での禁煙を支持するようになっていた。国家統計局の調べ(06年)によると、90%がレストランでの禁煙を支持し、85%が職場で、66%がパブでの禁煙を支持した。喫煙者も79%がレストランでの禁煙を支持した。パブでの禁煙の支持者は3分の1のみであったが。

15年10月、イングランド地方とウェールズ地方で子供(18歳未満)がいる車の中での喫煙が禁止となった。北アイルランド地方でもこの措置が導入される動きが出ている。

かき消された禁煙反対の声

公的場所での禁煙措置に対し、喫煙愛好者や飲食店側の反対はあったが、医療関係者や喫煙規制組織によるロビー活動、メディア報道、政府の後押しにかき消された恰好だ。

例えば俳優スティーブン・フライ、現在は外務大臣となったボリス・ジョンソン、アーチストのデービッド・ホックニーなどの著名人が禁煙措置への反対の立場を明確にした。レストランやパブでの受動喫煙と健康への負の影響が「誇張されすぎている」と主張した。

喫煙者のロビー団体「フォレスト」は「喫煙者も有権者だ」という。ディレクターのサイモン・クラーク氏は一連の措置は「喫煙者へのハラスメントだ」と述べる。

同氏によれば、パブでの禁煙措置によって外に出かけられなくなった「数千人の社会生活が破壊されてしまった」。

筆者自身は喫煙者ではないが、07年からロンドンを含むイングランド地方のレストランやパブなどが一斉に禁煙となると聞いたとき、「そこまで徹底する必要があるのか」と疑問に思ったし、「これでは喫煙者はタバコを吸う場所がなくなってしまう」とも感じた。

しかし、レストランやパブで働く人や喫煙しない大人、それに子供たちへの影響、つまり受動喫煙の影響を考えると、完全禁止にしてよかったと今では思う。

友人や知人の中には喫煙者もいるが、互いの家で食事をする場合、喫煙者は「ちょっと失礼」と言って、短時間外に出て喫煙している。レストランでの食事の場合も同じである。

タバコをくゆらせながらの会話は、それはそれで味があることなのかもしれないが、会話に参加している当人同士が良いとしても、ウェイター、ウエイトレスはマスクをするわけにもいかないし、隣のテーブルには子供がいるかもしれない。そうするとやはり中座してタバコを吸う現在の方法がしっくりくる。

私的空間も規制する一歩踏み込んだ禁煙措置

禁煙空間の拡大は、当初は喫煙する人の健康へのマイナスの影響を要因としていた。それが職場やレストラン、パブなど不特定多数の人が集まる、公的空間で完全禁煙になったのが英国では約10年前だった。

先述したように、次に車の中に未成年がいる場合の喫煙が問題視された。禁煙措置は公的空間のみならず、私的な空間をも規定するようになった。イングランド地方、ウェールズ地方で15年に、スコットランド地方で16年に導入され、北アイルランドでは今年、国民からの意見を募った。

イングランド・ウェールズ地方の場合、18歳未満の子供がいる車の中で大人が喫煙すれば、罰金50ポンドが科せられる。

英肺財団によると、窓を開けていたとしても、喫煙によるタバコの煙は2時間半ほど車の中に残っている。受動喫煙の煙の中には400種類の化学物質が入っており、肺感染症、喘息、耳の病気、乳児突然死につながる可能性が高いという。毎年、受動喫煙の結果、主治医を訪れる児童は30万人に上る。

英タバコ製造者協会によると、業界が政府に納める税金は年に120億ポンド(約1兆7320億円)に上る。タバコ1箱の価格の約80%が税金である。

政府を巻き込んでの禁煙に向けた動きが続く英国で、タバコ愛好者は少数派となりつつある。禁煙運動を主導する団体「アッシュ」によると、英国の男性で喫煙をする人は全体の19%、女性では15%。平均すると17%になるという。

パブの店舗数は減少。飲食業界への影響は

2006-7年の完全禁煙化によって、飲食業界はどれほどの影響を受けたのだろうか。

筆者が調査をしたところでは、禁煙化でレストラン業が成長を鈍化させたという資料は見つからなかった。

パブはどうか。シンクタンク「経済事象インスティテュート」(IEA)の2014年の調査によると、英国全体で5万8200件あったパブは2013年には4万8000件となった。減少の原因は複数の要素が絡み合っている。世界金融危機後の不景気(2008-9年)、完全禁煙化、ビール税の上昇、2003年以来のアルコール摂取の減少など。もしパブを救いたいなら、政府は「アルコール税を大幅に減少させ、禁煙化を緩め、付加価値税を低下させるなどをする必要がある」という。

パブ業界の振興組織「キャンペーン・フォー・リアル・エイル」の調査(2016年)によると、06年に完全禁煙を取り入れたスコットランド地方では05年末時点で5794件あったパブが、10年後には4558件に減少したという。

完全禁煙化が打撃になったのは確かだが、飲酒運転防止のための反アルコール運動が広がっており、これも要因となったという。

どこで完全禁煙化が成功したかどうかを判定するべきだろうか?

英国では健康増進に貢献できたかどうかを判定基準としているようだ。調査会社「コックレーン」による調査(2016年)によると、公的空間での禁煙制度を導入した21カ国を対象に調べたところ、受動喫煙が減少することで心臓関連の病気の発病数が減少したという。

英国の病院に入院中の5万7000人の患者が対象となったこの調査では、07年に完全禁煙が実施されてから5年で、心臓にかかわる病気で入院した人の数は男性で42%、女性で43%減少した。

複数の調査による様々な数字を引用してきたが、逆の結論を引き出すような調査もありうるかもしれない。

それでも、飲食業への影響(利益と雇用)を重視するのか、それとも健康維持を重要視するのか、日本の政界は決断を求められている。