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<記者の目>受動喫煙対策を考える

2017年5月5日 毎日新聞  https://mainichi.jp/articles/20170505/org/00m/070/003000c 

 

「命を守る」が最優先

 私は喫煙者だが、政府が2020年の東京五輪・パラリンピックに向けて、受動喫煙防止対策を強化する方針には賛成だ。厚生労働省は3月1日、飲食店などの屋内を原則禁煙とする改正法案の概要を発表した。だが自民党内の反発が激しく法案提出は全く見通せない。対案を発表した自民党たばこ議員連盟(会長・野田毅元自治相)など反対派は、飲食業界への影響を主な反対理由に挙げるが、まずは健康被害を防ぐことを第一に考えるべきだ。

 厚労省案は、罰則付きで屋内を禁煙にすることを目指す。小中高校や病院は最も厳しい「敷地内禁煙」とし、官公庁や大学は「屋内禁煙」。飲食店やサービス業施設、オフィスなどは「原則屋内禁煙」だが喫煙専用室の設置を認める。主に酒類を提供する30平方メートル以下のバーやスナックは規制対象外とした。

 普段よく利用する店を思い浮かべた。ほとんどが30平方メートルを超えるだろう。「会社帰りに居酒屋で一服はできなくなるな」と一抹のさみしさを覚えた。しかし、いずれ屋内禁煙の日が来ると思えば諦めもつく。受動喫煙防止の努力義務を定めた03年の健康増進法施行で、公共施設や駅、タクシーなどで禁煙が進んだ。当時は困惑したものの、今となっては喫煙者も当たり前のように受け入れている。

 

屋内禁煙が世界的な潮流

 日本では環境美化や接触事故防止のため、屋外禁煙が進んできた。しかし受動喫煙を防ぐ観点からは屋内禁煙が世界的潮流だ。排煙設備があっても受動喫煙を防ぐのは難しいからだ。世界保健機関(WHO)の調査では、世界188カ国のうち、病院、学校、大学、行政機関、事務所、飲食店、バー、公共交通機関という人が集まる場所の8分類すべてで、屋内禁煙の法規制をした国は49カ国に上る。厚労省案が実現したとしても、WHOの格付けでは、日本は現在の4段階中の最低ランクから一つ上がるに過ぎない。

 国際オリンピック委員会(IOC)とWHOは「たばこのない五輪」を求めており、08年の北京以降、すべての五輪開催地は罰則付きで屋内禁煙とする法規制を講じた。先月来日したWHOのダグラス・ベッチャー部長が「日本は前世紀並みに遅れている。五輪を控えた今が、受動喫煙対策を進める絶好の機会だ」と訴えるのもうなずける。

 一方、たばこ議連も対策の必要性は認め「意図せず煙にさらされることを防ぐ」と分煙による対策を訴える。飲食店などに「禁煙・分煙・喫煙」の表示を義務づけ、客は店を選択することで受動喫煙を避けられると主張する。

 

自民議連案は従業員置き去り

 議連の案は一見、店と客の自主性に委ねバランスがよいように見える。しかし、煙が充満する店内で働く従業員のことが全く考慮されていない。従業員が受動喫煙を避けるには仕事を辞めるしかない。従業員の受動喫煙防止をなおざりにしている点で、この案には賛同できない。

 議連を支持する飲食業界からは「雇用時に了解を得る」などの提案も挙がるが、未成年者が働くことも考えれば十分ではない。結局、分煙による対策は現状の喫煙環境を温存するだけで、完全な受動喫煙防止は実現できないのだ。

 たばこ議連案の資料には「合法的な嗜好(しこう)品のたばこを喫煙する者を排除してはならない」などと「喫煙者の権利」を強調する言葉が並ぶ。私も「喫煙場所がなくなるならいっそ販売禁止にしたらいい」とぼやきたくなることもあるが、喫煙者の権利をいうなら最低限、他人の健康を害さないことが前提だろう。

 原因不明の慢性閉塞(へいそく)性肺疾患(COPD)がある高村春仁さん(52)は酸素ボンベが欠かせず、常時、鼻からチューブを通して吸入する。3年前からは歩くだけで呼吸が厳しく車いす生活になった。「喫煙所から戻ってきた人の体に付いた煙だけで呼吸が苦しくなる」と訴える。わずかな煙でも他人の健康を害することがあるのを忘れてはならない。

 受動喫煙対策の背後には、関連業界の利害だけでなく、年間2兆円余りの税収を生むたばこ税など複雑な事情が絡む。しかし、厚労省研究班の推計では受動喫煙による国内の年間死亡者は約1万5000人。受動喫煙がある人が肺がんになる危険性は1・3倍、乳幼児突然死症候群は4・7倍となるなど健康リスクは明白だ。命を守ることに勝る優先事項はないだろう。

 影響が出る業界や地域には何らかの支援策を検討すればいい。喫煙所の設置助成や屋外の公共喫煙所の増設などがその例だろう。厚労省案の30平方メートルでの線引きも根拠が不明だ。従業員の受動喫煙を防ぐ点からは、従業員を雇用しない1人店主の店のみ喫煙を認めるとする考えもある。

 安倍晋三首相は今のところ党内議論を見守る姿勢を示している。しかし厚労省案が出てから、自民党内の議論の場となる部会が開催されないまま2カ月以上たつ。今国会での成立を逃せば「たばこのない五輪」は危うくなる。一刻も早い部会開催が望まれる。私個人としては、今回の対策強化をきっかけに禁煙まで行ければいいなと思い始めている。

 受動喫煙対策案の比較