毎日新聞
たばこを吸う人は採用しません――。最近、「非喫煙」を採用条件に掲げる企業や大学が増えている。受動喫煙が社会問題化する中、7月に一部施行された改正健康増進法で、学校や病院、行政機関などの敷地内が禁煙になったことを受け、流れは加速しそうだ。「喫煙者は不採用」について改めて考えた。【聞き手・小国綾子】
「喫煙者不採用」と「全社員禁煙」を会社の正式なプロジェクトとして始めたのは2002年ですが、まだ長野・軽井沢にしか事務所がなく、社員が200人程度だったころから取り組んできました。
「ヘビースモーカーだった社員の死を機に、社員の健康を守るために始めた」という美談が独り歩きしていますが、事実は少し違います。全面禁煙は、生産性向上のために始めた取り組みです。
1991年に社長に就任した際、社員たちから同僚の「たばこ休憩」に不公平感を感じていることを聞きました。「喫煙者が頻繁にたばこ休憩を取るのは不公平だ」と。
喫煙する板前たちは「包丁を使う仕事なので、たばこを吸えず集中できないと危ない」と言いました。しかし、吸わないと集中できないのは中毒症状であり、ならば社員を非喫煙者だけにした方が生産性が上がると気付いたのです。
スペースの問題もありました。欧米では当時、従業員用の休憩スペースを喫煙者用、非喫煙者用に分けるのが潮流でした。しかし日本の小さな旅館の狭いバックスペースでは不可能です。分煙にスペースを割くなら従業員食堂や会議室を充実させようと思いました。
しかもホテル業界では、従業員の喫煙による臭いの有無が、お客様の満足度に直結します。
社員が勤務時間だけ禁煙しても、中毒症状で集中できないなら生産性は下がる。だから「全面禁煙」に踏み切りました。生産性向上、社員間の不平等感の解消、そしてお客様の満足度アップのために、それが一番の解決策だと、自分なりの結論に至りました。
取り組みを始めた際、「喫煙者不採用」より「全社員の禁煙」の方が反発は大きかった。当時は約200人の社員のうち3分の1程度が喫煙者でした。そのため地元の病院と連携し、禁煙治療を受けてもらい、その費用は会社が負担することにしました。総額500万円程度でした。
私自身も迷いがなかったわけではありません。でも救いだったのは、喫煙社員の家族から「パパが健康になる。ありがとう!」などと感謝されたことです。たばこは合法的な嗜好(しこう)品で、個人の自由ですから、社員に禁煙をお願いするには大義名分がほしかったのです。最後は社員の家族の声に背中を押してもらいました。
結局、数年で全員が禁煙に成功し、強硬に反発した社員も今は「やめられてよかった」と言ってくれています。中には耐えられず会社を辞めた社員もいたかもしれません。現在、喫煙した社員への罰則はありません。非喫煙を条件に採用した社員については、非喫煙を守るよう、会社としてお願いできる立場だと考えています。
最後に一つ。よく誤解されてしまうのですが、星野リゾートは喫煙を嫌っているのではありません。喫煙するお客様にたばこを楽しんでいただけるよう喫煙スペースにも工夫をし、施設によっては屋内だけではなく、屋外に出て美しい景色を楽しんでもらえるような喫煙ルームも用意してあります。喫煙習慣のあるお客様も心から歓迎していることを、お伝えしたいと思います。
企業には採用の自由が広く保障されている。人種や信条、性別、出身地などを理由に不採用にすれば就職差別に当たるが、「非喫煙」を採用条件に掲げることは不合理な差別とまではいえない。
ただ、「非喫煙」を採用条件にすることと、採用後に社員に「禁煙」を強いることは同列に考えられない。「非喫煙」を条件に採用された人は、入社後、喫煙が発覚した場合、採用条件の詐称に当たるため、懲戒の対象となり得る。しかしすでに採用された社員に対し、新たなルールとして禁煙を強いることには、使用者はより慎重であるべきだ。
また、「非喫煙」を昇進条件に掲げる企業もある。昇進に関しても使用者に広い裁量権が認められているため、職務の重い者は健康により気を使う必要がある、という理由で「非喫煙」を昇進条件としても、「不合理な差別」とは言えないだろう。
今、職場で喫煙をめぐって一番問題となりやすいのは、一服する時間のあり方だ。たばこを吸う時間はこれまで、トイレやお茶を飲む時間などと同様、休憩時間ではなく労働時間と見なされてきた。使用者の命令や指示があればすぐに仕事に戻らなければいけないため、あくまで「使用者の指揮監督下にある」と考えられるからだ。
実際、過労死訴訟で長時間労働が争点になった場合でも、喫煙時間も労働時間として認定されてきた。また、喫煙に要した時間分の賃金をカットするような処分は違法と認定されかねない。
しかし最近、建物内の喫煙所が撤去され、遠い喫煙所まで行かなければ吸えないような職場も増えてきた。たばこを吸って職場に戻るまでに長い時間がかかれば、仕事に支障が生じる可能性も否定できないため、今後も議論の余地は残るだろう。
もう一つ、問題になりやすいのが受動喫煙やヤニの臭いだ。奈良県生駒市では、受動喫煙や臭いの迷惑を減らすため、職員に対して、喫煙後45分間は市役所のエレベーター使用を禁じている。庁舎は5階建てで階段もあるようなので、このルール自体は許容範囲だろう。
しかし、ヤニ臭い社員に対して隔離処置を取るようなことがあれば、職場内のハラスメントになりかねない。かといって「強烈なヤニ臭さを放つ同僚のせいで、苦しくて仕事にならない」と従業員から訴えがあった場合、職場として対応しないわけにもいかない。
結局、たばこの問題が難しいのは、副流煙などによる受動喫煙や臭いの問題があるため、単なる個人の嗜好(しこう)品、と割り切れないからだ。勤務時間内は外出先であっても一切喫煙は禁止、という企業もあるようだが、例えば喫煙を理由にその社員を懲戒処分にするのは行き過ぎだと思う。
とはいえ、業種によっても事情は異なる。製薬会社や生命保険会社など、健康に深く関わる業種であれば、喫煙に関してより厳しいルールを採用することの根拠になるし、接客業であれば客を不快にさせてはいけない、という判断もあるだろう。一概に線引きすることは難しい。
私は喫煙者だが、他人のたばこの煙は嫌いだ。嫌煙派の喫煙者の社会学者として、「喫煙者不採用の企業が増えている」というニュースにフクザツな思いでいる。
非喫煙者がたばこの臭いを嫌う気持ちには共感できる。まして、今や副流煙など受動喫煙の被害も明白だ。「その場で吸っていなくても、吸った後、そばに来られるだけで害がある」と批判されると、反論のしようがないと思う。だから喫煙者を締め出す動きに対し、「禁煙ファシストだ」などと反論をする気はもはやない。
ただ、三つほど気になる点がある。一つ目は、たばこは合法的な嗜好(しこう)品であること。「非喫煙」を採用条件に掲げること自体に違法性はないとしても、もう少し慎重に考えてもいいのではないか。
例えば、喫煙率は学歴や社会階層とも相関関係があるとされる。低所得者、非大卒者で喫煙率が高いことを示す調査もある。「喫煙者」を採用の現場から排除する流れが無批判に広がることは、特定の社会階層に対する間接的な就職差別につながりかねない。単に、禁煙できない意志の弱い人は採用しないとか、健康リスクの高い人は採用しないということにとどまるのか。もっと構造的な選別をしている可能性について熟議がなされるべきであると思う。
「臭いがいや」という気持ちは、私もよく分かる。しかし、「臭い」を理由に誰かを忌避することは、どこかで、いじめや差別と地続きではないかと思うのだ。
次に、喫煙というのは現在、すでに医療の対象になっている行為だということ。昨今、覚醒剤や大麻など違法薬物を使って逮捕された人に対しても「厳罰よりも治療を」「回復を支援できるよう包摂的な社会であろう」という考え方が広く支持され始めている。たばこに対しても、そういうまなざしがあってもいいのではないか。
三つ目は、屋外禁煙について。
確かに世界的に見ると、いわゆる先進国では屋内全面禁煙というところが多い。しかし、屋外の喫煙については、日本ほど厳しい国は珍しいと思う。屋外喫煙所が撤去されていく中、「意志の弱い」人たちが街の死角に吸い殻を投げ捨てている。
屋外喫煙が珍しくない国にドイツがある。知人のドイツ人に理由を聞いたら、「公共の場(開かれた場)で禁じるのも変だろ」と言われた。これがドイツ人の一般的な考え方というわけではないだろうが、「誰かの私有財産である屋内と違って、公共の場では法的に認められた行為を妨げることこそがおかしい」という考え方にはうなった。
私自身は、最終的に禁煙社会になっていくこと自体には賛成だ。しかし、合法的な嗜好品であるにもかかわらず、害悪論以外の議論が少ない中、なし崩し的に喫煙者を排除する昨今の潮流を見ていると、街の過剰な浄化や貧困層排除にもつながる流れに思えて、どこか怖い気がするのだ。
もう、いっそのこと、たばこを非合法化してほしい、とすら思う。その時こそ私は心からのコミットメントをもって、紫煙とお別れしたいと思う。
「喫煙者は不採用」の草分け的存在が星野リゾートだが、最近はファイザー日本法人、損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険など健康に関わる業界で広がりを見せる。また大学では、長崎大が喫煙者不採用、大分大も非喫煙者の優先採用を掲げ、話題を呼んだ。就業時間は全面禁煙とする企業も増えてきた。背景にあるのは、受動喫煙問題。たばこの煙には発がん性物質が含まれ、喫煙後の呼気にも有害物質が含まれる。