2024/5/3 NEWSポストセブン 週刊ポスト2024年5月3・10日号 https://x.gd/eOHxQ
昨年1月、元通産官僚で、昨今はバラエティ番組にも多数出演中の岸博幸氏(61)は、〈岸さんは多発性骨髄腫に罹患されています〉と、後の主治医となる血液内科医から唐突に告げられる。
還暦を過ぎた頃から疲れがひどく、顔色が悪いのも〈年のせいだ〉と思ってきた。が、人間ドックを5年ぶりに受診すると、その場で専門医を紹介され、10日後には、完治が難しく、男性の罹患率は10万人に6人ともいうこの血液のがんの名前を聞くことになるのだ。
岸氏はこの時、体調不良の原因がわかって安心する一方、〈治療を受ければあと10年か15年は大丈夫です〉という主治医の言葉にただ〈そうですか〉と頷くしかないほど動揺もしていたと書く。〈ふだんは、人の発言を詰めまくる僕が〉と。そして〈つまり、余命10年から15年ということなんだな〉と勝手に納得していたという自身の意識の変遷や、病気を機に〈やめたこと・始めたこと〉を、本書『余命10年』に綴るのである。
「正直、僕はこの手の本を出すのはイヤだったんです。病気を売りにするみたいで。だからこそどうせ出すなら、多少は読者の役に立つものにしたかった。
僕はこの病気になったことで、人生観がかなり変わったんですよ。多発性骨髄腫は現実問題として治らない病気ではある。今でもお腹に液剤を入れる強力な注射を打ちに隔週で通院しているし、毎日朝晩飲む大量の薬の中には管理が厳しいサリドマイドのような薬もあって、体調のアップダウンもそれなりにシンドイんですね。
あと一番迷惑な副作用が、煙草を吸うと心臓が苦しいんです。ならやめろよって話だけど、1日5~6本に減らしてもやめる気はない。酒も量は減ったけど飲んではいて、むしろ人生の残り時間が可視化されたからこそ、これからは〈ハッピー〉と〈エンジョイ〉の2つをより追求しようと、悟りを得ることもできたんです」
ちなみに本書でいうハッピーとは、〈周囲に気兼ねするのはやめ、自分がやりたいこと、やるべきだと思うことを最優先にし、日々の自己満足度を高めること〉。一方エンジョイとは〈積極的に新しい世界に飛び込み、今までと違った経験をし、人生の幅を広げる〉ことで、岸氏は〈こうした考えは、かなり身勝手だと自覚している〉としつつも、〈かつて僕が生き方の軸としていたのに、いつのまにか追いやっていたもの〉の大事さに病気を機に気づけた自分は〈ラッキー〉だとすら書く。
「それこそ僕はドリーム・シアターというメタルバンドの追っかけをしていて、役所時代もライブがあると世界中、どこでも行ったり、好き勝手やってましたから。それが45を過ぎて結婚して、子供が2人できてからは、お金も稼がなきゃなんないし、わりと妥協することが多くなっちゃったんですね。それでも妻から見れば十分勝手らしいですけど(笑)。
でも残りの10年もずっと妥協したままでいいのか、むしろより一層、やりたいことを好き勝手やらないとダメなんじゃないかって、実はこれ、僕に限らず社会全般に関して、真剣に思っていることなんです」
まずは10年間でやりたいこととやめることの〈バケット・リスト〉を作成した。マルチタスクや白髪染めや〈過保護だった子育て〉はやめ、酒や煙草や筋トレや〈自己満足の追求〉、そして〈スマイルと大きな声〉や追っかけも当然やめない。
また、坂本龍一、竹中平蔵、やしきたかじん各氏を人生の〈三大恩人〉と呼び、有田哲平、坂上忍、宮根誠司の三氏を心から尊敬する著者にとって、病名を公表して以降、何かと心配してくれた面識のない視聴者も含めて〈他者への恩返し〉も重要なタスクの1つだ。
「退院してすぐテレビに出たのも、頭はハゲても復帰はできると、体を張って示したかったんですよね。今は2人に1人ががんになる時代ですし、ある程度まで治療をしたら復帰するのがフツウになればと思って」
さらに岸氏は余命宣告された人や若い世代に向けた助言を各章に綴った上で、最終章に〈豊かさの指針を「国」から「個人」に〉など、5つの提言を掲げる。その視界には会社のため、家族のためといった美徳を過剰なまでに崇める〈昭和的な価値観〉からの脱却があり、組織より個の幸せを追求することが、ひいては経済規模も幸福度も〈低位安定〉に甘んじる日本全体の変革にも繋がるのだと。
「例えば僕の元同期が国や組織のために懸命に働き、家族を養ってきたのは皮肉抜きに立派なことだと思う。でもそのせいで自分のやりたいことがやれなかったり、やりたいこと自体がないと言う人も時々いて、お金も家族のためだけじゃなくもっと自分のために使おうよ、そこまで家族に忠実でいる意味なんてありますか、と僕は言いたいわけですね。家族も一種の組織ですから。
日本がこの30年でアンハッピーな国に成り下がった以上、せめて病気の人や引退組からでも、個々の欲望や幸せに忠実になった方がいいと思うんですよ。人口が減り、経済が縮む中で、未だにGDPや企業単位の幸福を語る方がどうかしてるし、今の国や企業に期待する方がムリ。事は個人の幸せですからね。自分で考えるしかないし、3年後、5年後に何をしてるかわかんない人生の方が断然面白いと思うんです」
岸流身勝手のススメは国を思うが故の改革論でもあり、個々の粒立ちこそが全体を美しく楽しいものに変え得ると、岸氏はかなり本気で訴えているのである。
【プロフィール】
岸博幸(きし・ひろゆき)/1962年東京生まれ。一橋大学経済学部卒。通商産業省入省後、コロンビア大学でMBAを取得し、1995年には朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)に出向。帰国後は小泉内閣の経済政策担当大臣補佐官など竹中平蔵氏の懐刀を務め、2006年の総辞職を機に退官。2021年に菅政権で内閣官房参与。現在は慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授やエイベックス顧問、総合格闘技RIZINアドバイザーなど幅広く活動。172cm、63kg、A型。