2023/11/13 17:37 産経West 【世論輿論】強まる嫌煙社会① ついに新幹線も全面禁煙 たばこ依存脱却の契機? 喫煙の自由奪う? - 産経ニュース (sankei.com)
JR東海、西日本、九州の3社が10月、東海道、山陽、九州新幹線の喫煙ルームを令和6年春に廃止すると発表した。これで国内すべての新幹線から喫煙ルームが消えることになる。喫煙率の低下や健康志向の高まりなどが理由だという。かつては喫煙車両で着席しながら自由にたばこを吸えたことを考えると、隔世の感がある。
ネット上ではこのニュースに対し、さまざまな反応がみられた。
喫煙者の中には、「新幹線の喫煙ルームは煙が充満しており、喫煙者でも入るのをためらうほどだった」として、さほど問題はないとする人も。一方、喫煙できるという理由で飛行機でなく新幹線を選んでいたとし、「飛行機に切り替える」とする声も目立った。
非喫煙者の中には、「トイレで隠れて喫煙する人が出てくる」「喫煙目的でトイレに入る人が増えれば、本当にトイレを使いたい人が利用しにくくなる」と危惧する人も。こうしたことに端を発するトラブルを避けるために「喫煙ルームはあってもよかった」とする意見もあった。
新幹線だけではなく、かつて喫煙できた場所が禁煙になるケースは近年、相次いでいる。
最も大きな転機となったのは改正健康増進法(令和2年全面施行)による規制で、公共施設や飲食店、オフィス、交通機関など、多くの人が集まる施設は原則禁煙になった。2025年大阪・関西万博を見据えて大阪市が同年1月をめどに市内全域で路上喫煙を禁止するなど、屋外で吸える場所も減りつつある。
以前から判明していたことだが、喫煙は人体に深刻な影響を与える。肺がんやCOPD(慢性閉塞(へいそく)性肺疾患)だけでなく、虚血性心疾患や脳卒中、アルツハイマー型認知症などさまざまな病気による死亡とたばこは因果関係があるという。
さらに喫煙者本人だけでなく、周囲の人にも受動喫煙が発生する。国内では年間約1万5千人が受動喫煙によるがんや脳卒中などで死亡しているとの推計がある。たばこを吸わない女性の肺腺がんの37%は夫からの受動喫煙が原因だとする国立がん研究センターがん対策研究所などの研究成果もある。
私は禁煙の場所が増えることで「たばこをやめようか」と考える人が1人でも2人でも現れるならば、禁煙エリアの拡大に賛成だ。それによって、喫煙者本人と周囲にいる何人もの命が守られるだろう。
新幹線の喫煙ルーム廃止をめぐるコメントの中には「車内での飲酒も禁止するべきだ」との意見もあった。確かに、アルコールの臭いで気分が悪くなる人もいるだろう。飲酒で人格が変わる人もいるという意味では、喫煙者よりも周囲に迷惑をかけるケースは多いかもしれない。
ただ、飲酒と喫煙の決定的な違いは、周囲の人の健康を害し、それが命に関わる重大な影響を与えるかどうかではないだろうか。たばこは、他の嗜好(しこう)品とは全く異質なものだと思う。
喫煙すると落ち着くという人も多い。それはたばこからニコチンを摂取すると、脳内で快楽を生じさせるドーパミンが放出されるからだ。だが、ニコチンの受容体の感度は徐々に下がり、やがてより多くのニコチンを求める依存状態になる。喫煙から30分でニコチンの血中濃度は半減するため、頻繁に吸い続けられない状態では、禁断症状と四六時中戦い続けなければならない。
喫煙によって得られるリラックス感は、依存によるイライラ感によって作り出されているともいえる。喫煙場所が減っていくことは、たばこに捕らわれた喫煙者がそこから脱却するチャンスといえるのではないだろうか。
一方で、こうした近年の風潮に対し、「もはや喫煙の自由がないに等しい」などと反対する声もある。みなさんは禁煙エリアの拡大についてどう思われますか。
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今回のテーマを担当するのは…大阪社会部次長 加納裕子(かのう・ゆうこ) 同僚デスクから「たばこ嫌い」と誤解されるが、喫煙による肺気腫が悪化した人の壮絶な苦しみを取材で知り、抱いた問題意識。禁煙の機会を逃してほしくないとの思いが強く、喫煙者に敵対心は全くない。
「世論(せろん)」と「輿論(よろん)」は近年同一の意味とされています。しかし、かつて、世論は世間の空気的な意見、輿論は議論を踏まえた人々の公的意見として使い分けられていました。本コーナーは、記者と読者のみなさんが賛否あるテーマについて紙上とサイトで議論を交わし、世論を輿論に昇華させていく場にしたいと思います。広く意見を募集します。意見はメールなどでお寄せください。
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意見を送りました:強まる嫌煙社会① たばこ依存脱却の契機?⇒ 意見:吸わされている喫煙者/喫煙所は消えていくでしょう!
2023/11/20 17:30 産経West https://www.sankei.com/article/20231120-H6FOYPAGBZPCPC3MEDSL43XJ7Q/
たばこを1日1箱(20本)程度たしなむ喫煙者の立場から述べたい。公私ともに喫煙が許される状況なら一服するし、我慢すべき状況であれば我慢をする。家族のいる自宅内は禁煙なので、休日などは格段に本数が減る。「禁煙しないのか」と持ち掛けられれば、喫煙は自ら考えた末の選択だと返事している。
もちろん、副流煙を嫌がる人たちへの気遣いや分煙の推進、ポイ捨てなど喫煙マナーの向上は必要だと思う。ただ、大阪市のように数少ない指定場所以外を全面禁煙にしようとしたり、新幹線の喫煙ブースを完全撤去したりする動きは、「喫煙の自由」に踏み込み過ぎではと感じてしまう。
全面禁煙化の流れに《われわれの聖域をこれ以上侵すな》とする喫煙者の38歳男性から寄せられた意見を紹介したい。
男性は、サウナの過剰利用やコーヒーの飲み過ぎなども健康を害するとし、《世の中には健康に悪い娯楽》があふれていると指摘する。喫煙もその一つだとして《不健康になってもよいと思う人の権利をここまで奪ってよいものなのでしょうか》と訴える。
男性も触れたように、喫煙による健康への悪影響は百も承知だ。ただ、120歳の世界一長寿として一時はギネスブックにも掲載された泉重千代さん(昭和61年死去)が生前、悠然と一服する姿をテレビ番組で何度か見た。健康への影響は「人によるだろう」と今でも思ってしまう。
過去40年ほどヘビースモーカーで、定年退職後に肺腺がんを患って禁煙した高齢男性とみられる方からも意見をいただいた。《パカパカ喫煙》していたかつての職場を《今考えると汗顔の至り》と自戒し、受動喫煙の怖さを教える啓発活動の必要性などを訴える。それでも、《何でもかんでもたばこを悪とし、嫌煙ばかりが声高な状況には違和感》があるとつづる。
確かに、昭和の喫煙状況は無遠慮で無配慮に過ぎただろうが、令和の過剰な嫌煙論は一定の反発を生んでしまう。前出の38歳男性は100年前に施行された米国の禁酒法を挙げ、《逃げる闇がなくなったら、さらに深い闇になるだけではないのか》と指摘する。
米国の禁酒法は飲酒自体を禁止したわけではなく、酒類の製造や販売、運搬などを禁じた。しかし密造や密売が横行し、「世紀の悪法」として施行13年後に廃止された。同様の法令がたばこに適用されたとしても、同じ状況に陥るだけだろう。
非喫煙者の方から《社会がなぜ全体的に喫煙者に厳しく、飲酒者に甘い》のか、というメールをいただいた。《飲酒が絡む事故や犯罪は喫煙によるものと比べてけた違いに多い》とし、たばこより酒の方が周囲に及ぼす影響が少ないとした前回の小欄に異論を唱える。
筆者自身はたばこも酒もたしなむので、「どちらが悪いか」という二者択一を迫られると抵抗がある。たばこも酒も「ほどほどに」許される自由が欲しいだけだ。皆さんは、そんな社会に納得できないだろうか。
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担当するのは…大阪社会部次長 宮本尚明(みやもと・なおあき) 前回小欄を担当した加納裕子次長とは平成11年入社の同期。喫煙問題に真剣に取り組む加納次長の姿を見ていると、喫煙を一向にやめようとしない自分も後ろめたさを感じないわけではない。
「世論(せろん)」と「輿論(よろん)」は近年同一の意味とされています。しかし、かつて、世論は世間の空気的な意見、輿論は議論を踏まえた人々の公的意見として使い分けられていました。本コーナーは、記者と読者のみなさんが賛否あるテーマについて紙上とサイトで議論を交わし、世論を輿論に昇華させていく場にしたいと思います。広く意見を募集します。意見はメールなどでお寄せください。
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意見を送りました:強まる嫌煙社会② たばこは悪の権化?「ほどほどの自由欲しいだけ」⇒ 意見:ご自分の空間でのみどうぞ
2023/11/27 17:30 産経 https://www.sankei.com/article/20231127-XYRNMNLA3FNJBFFDV2KY4R5SBA/
《身勝手な主張が垂れ流されていて不愉快》《手前味噌(みそ)さにあきれかえった》。前回の小欄で喫煙について「ほどほどの自由が欲しい」とつづったところ、嫌煙派の方々からこうした反応が返ってきた。分煙化やマナー向上が必要なことを前提に喫煙の「自由」について議論を促したつもりだったが、問答無用で一刀両断されてしまった。やはり喫煙者は嫌われているのだと実感した。
元ヘビースモーカーで禁煙歴約20年という男性から、筆者を含む喫煙者に対し《「漂ってくる臭い」が問題》《ヤニ臭さが好きだというご家族であることを祈ります》との指摘をいただいた。確かに筆者の自宅は禁煙で、外で一服して戻ると家族から「臭い」と苦言を呈される。だから喫煙後はハンドソープで手を洗い、口をゆすぐ。嫌煙派の家族にも一定の気遣いはしているつもりだ。
ただ、臭いの問題は、受動喫煙という視点を踏み越えてはいないだろうか。人は体臭を含め、さまざまな臭いに快不快を感じる。筆者の場合、家族や親しい人物以外の「臭い」に不快さを感じても、基本は我慢するなど黙ってやり過ごす。受動喫煙の問題なら分かるが、臭いの問題はプライベートな議論にとどめるべきだと思う。
2025年大阪・関西万博を控え、大阪市は同年1月には市内全域の路上禁煙に踏み切る。大阪市内在住の筆者は規制が始まれば、在宅中は外に出て一服というわけにはいかず、限られた喫煙所に出向かざるを得ない。正直、規制前の現段階から「喫煙の自由」を侵害された気分になる。
とはいえ無遠慮、無配慮な喫煙者はまだいる。《ベビーカーの脇で平然と歩きたばこ》《路側帯に車内の灰皿をぶちまけ》。関東在住の40代男性が挙げるような状況だと、喫煙者全体の《肩身が狭くなる風潮も仕方ない》だろう。マナー向上は喫煙者が生き延びるための最重要課題だ。
喫煙者の男性から届いた《(日本は海外と異なり)外気空間が禁煙場所とされていることに釈然としません》というメールも紹介したい。確かに欧米など海外では屋内の禁煙化が進んでいるのに対し、屋外での規制はほとんど確認できない。
米カリフォルニア州が建物の入り口から約6メートル以内の屋外喫煙を禁じるなどのケースはあるが、フランスやドイツは自由なようだ。男性が指摘するように《(屋外で)区域を指定して禁煙としている国は少ない》のだ。
もちろん密閉された屋内の規制は必要だと思うが、東京都千代田区のような屋外規制が広がる日本の嫌煙社会は、果たして正常といえるのか。喫煙者の立場からすれば、日本の屋外規制は「先走り過ぎでは」という疑念を抱かざるを得ない。
非喫煙者から《(嫌煙派は)公共の場所で禁煙するように主張しているだけ》という意見もいただいた。全く否定するつもりはないが、「公共の場」が際限なく拡大されれば、喫煙者は息苦しい。どこまでが公共の場なのか、喫煙者も納得できる線引きが欲しい。
今回のテーマを担当するのは…大阪社会部次長 宮本尚明(みやもと・なおあき) 新聞記者とは紫煙をくゆらせながら原稿を書くものだと思い、平成11年に入社した47歳。そんな時代はすぐに終わり、今は喫煙所への出入りを繰り返しながら、原稿のアイデアなどを練っている。
「世論(せろん)」と「輿論(よろん)」は近年同一の意味とされています。しかし、かつて、世論は世間の空気的な意見、輿論は議論を踏まえた人々の公的意見として使い分けられていました。本コーナーは、記者と読者のみなさんが賛否あるテーマについて紙上とサイトで議論を交わし、世論を輿論に昇華させていく場にしたいと思います。広く意見を募集します。意見はメールなどでお寄せください。
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2023/12/4 17:15 産経 https://www.sankei.com/article/20231204-QXMIK4L3JZP3HCSOB5ZXXHUR5M/?325464
「喫煙者と非喫煙者の議論は平行線で分かりあえることはない」と、ある同僚がたばこを小欄のテーマにすることについて難色を示していたが、確かにその通りかもしれない。寄せられた意見は賛否が分かれるものの、やはり喫煙者に否定的な意見が目立った。
《喫煙者は嫌煙の気持ちが絶対に分かりません。ワガママで言い訳ばかり、よく考えつくなという気がします》
寄せてくれた意見の一部だが、特に非喫煙者からの指摘はかなり手厳しい。
そもそもたばこは、日常生活の中で平然と火をつけ、吸い込んだ煙を吐くという行為だけに、非喫煙者からすれば耐え難いものであることに相違ない。
私事で恐縮だが、およそ20年前、結婚を機にたばこをやめた。むろん妻が非喫煙者だったため「自主規制」したまでだ。このころから受動喫煙がクローズアップされ、徐々に喫煙場所が少なくなった。喫煙するために喫煙ルームのような場所を探す必要があり、「そんなに面倒ならいっそやめてしまおう」との思いも後押しした。
喫煙者の多くが思うことらしいが、自身の煙はなんとも思わないのに、他人の煙はうっとうしい。ゆえに非喫煙者が喫煙者に厳しくなることは十分理解できる。
《すれ違ったときの服から臭う強烈な臭いは好きではありません。しかしまだ我慢できるのです。たばこはそんなものではありません。それが近くから臭いでもしたら息を止めて通り過ぎます》
こうした意見も寄せられた。健康に悪いという問題だけでなく「臭い」についても、他のものと比較にならないのがたばこのようだ。
すでに非喫煙者になった身としては、この世からたばこがなくなればいいとすら思う。ただ、かつて喫煙していた後ろめたさは常にある。やめたからといって手のひらを返したようにたばこ批判をするのは、説得力にかける気がしてならない。
同様の思いを抱く方からも意見をいただいた。
《私も元喫煙者ですが、今は嫌煙になっています。屋外喫煙の煙が流れてきたら、心の中では「なんでお前の吐いた汚い煙を臭わないといけないのか」と、昭和、平成初期と職場の非喫煙者に煙を提供していたことを棚に上げて思います》とつづっている。
このようにかつての喫煙者ですら現在の喫煙者には厳しい意見が相次ぐ。そして極端な嫌煙派からは、受動喫煙によって非喫煙者まで健康を害し、最終的に死に至らしめるといった論も目立つ。
ただ、一度立ち止まって考えてみてほしい。
受動喫煙が要因で病となった人は少なからず存在するだろう。だが、会社や家庭の応接室に灰皿が必須で、たばこの煙が蔓延(まんえん)していた時代に生き、現在80代や90代を健康に迎えている人は多い。日本は国際社会においても指折りの長寿国だ。
さらに言うまでもないが、日本は自由が保障された民主主義国家である。まして多様性が重視される社会で、マナーを守っている喫煙者の言い分も否定するのであれば、それは過剰反応ではないかと思えてしまう。
たばこばかりが非難され、自動車の排ガスを問題視しないことに疑問を抱く男性は、現状をこう指摘する。
《喫煙だけが無条件に悪とされ、喫煙者ならいくらたたいてもよいという今の風潮には、恐怖すら覚えます》
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今回のテーマを担当するのは…大阪社会部次長 津田大資(つだ・だいすけ) 「食前のミカンで痩せる」などあらゆる手法を試したものの、効果を実感したことがない。科学は日進月歩で非科学的なことが嫌いだが、生命の神秘だけは否定しない、ダイエット歴20年の50歳。
「世論(せろん)」と「輿論(よろん)」は近年同一の意味とされています。しかし、かつて、世論は世間の空気的な意見、輿論は議論を踏まえた人々の公的意見として使い分けられていました。本コーナーは、記者と読者のみなさんが賛否あるテーマについて紙上とサイトで議論を交わし、世論を輿論に昇華させていく場にしたいと思います。広く意見を募集します。意見はメールなどでお寄せください。
X(旧ツイッター) @SankeiNews_WEST
意見を送りました
⇒ 意見:「リスクを重々承知・お覚悟の上、ご自分の空間でのみどうぞ」と申しあげ、「声高に禁煙を」申しあげるつもりはありませんし、喫煙者を叩くつもりもさらさらありません。