全面禁煙は経済損失と考える人の残念な論理

  喫煙を許容するほうが経済損失が大きい  

 

  東洋経済オンライン :ITジャーナリスト2017年1月20日  http://toyokeizai.net/articles/-/154408 

 

 

 昨年来、厚生労働省を中心に進められている健康増進法改正案の概要に、複数の業界団体が反対声明を出していることが話題になっている。この改正案では飲食店での禁煙化が盛り込まれており、違反した場合は飲食店、喫煙者ともに罰せられる。同法案は1月20日招集の通常国会を通過すれば、今年前半にも施行される可能性があり、それに先んじての動きだ。

 

 健康増進法改正案では、これまで努力義務であった小中学校や官公庁、飲食店、駅・空港などでの禁煙が義務化され、罰則についても科料が加えられることとなった。なお、飲食店と交通拠点に関しては、いずれも喫煙室の設置が認められている。

 

 公共の場における喫煙に関しては、受動喫煙の危険性といった直接的な健康被害ももちろん大きなポイントだ。子どもが立ち入る可能性が高い場所ならばなおさらだが、問題は受動喫煙だけではない。

 

 直接の健康被害ではないため、“健康増進”という部分からは離れるが、喫煙者自身は気づかない悪臭などの問題も大きい。喫煙率が19.3%(男性32.2%、女性8.2%、厚労省調べ)まで減少している現在の日本社会を鑑みるならば、“料理”という商品の価値を損ねる悪臭を発する喫煙を飲食店で禁止することは、極めて合理的と言えるだろう。

 

外食産業が「反対集会」を決起

 

 ところが、このニュースに対して外食産業などが集まり、一律の規制に「反対集会」を開いたことが議論の扉を開いた。

 

 中でも飲食店業界の反発は大きい。1月12日に開かれた受動喫煙防止強化に対する緊急集会において、全国飲食業生活衛生同業組合連合会、日本フードサービス協会といった団体が意見を出したが、彼らの意見は実にシンプル。反対する団体の主張内容はどこも似通っている。

 

 すなわち、法的に認められた“たばこ”という嗜好品を、たのしむ人も、たのしみたくない人も、それぞれに互いが嫌な思いをすることなく共存できる“分煙先進国ニッポン”を目指すべき――というものだ。これまでも飲食業界では、分煙の徹底や店頭でのステッカー張り付けによる喫煙可否の表示などを進めてきており、一律に禁止することで「廃業に追い込まれる店もある」と経済的にマイナスとの意見も出されていた。

 

 しかしながら、こうした反対意見の多くは合理性を欠いていると言わざるをえない。社会全体で見た場合、喫煙を許容するほうが経済損失が大きいと考えられるからだ。

 

 日本におけるたばこ関連の税金は近年ほぼ一定で、年間2兆円を超える程度である(地方税含む)。2015年は2兆1500億円であり、これにたばこの売り上げに伴う消費税2900億円を加えた2兆4400億円が、たばこ関連の税収ということになる。その税率は63.1%にも及ぶ。

 

 しばしば、こうした数字が喫煙を正当化するために用いられるが、たばこによる損失は税収を上回ると考えられる。

 

 確かに日本において、たばこは“嗜好品”として供される法的に認められた商品である。「ニコチンによる依存性は微弱であり、アルコールなどよりはるかに低く自己責任」との判例があることも背景としてあるだろう。


世界でのたばこに対する認識とは

 

 筆者は多様な国や地域に取材で出かけているが、日本はたばこに対して寛容な国のひとつだ。

 

 しかしながらグローバルでのたばこに対する認識は異なる。1995年、米国における裁判で、元たばこ会社役員が「ニコチンに依存性があることを知って販売しており、またニコチンへの依存度を高める添加物を使っていた」と認めたことで、たばこの健康被害がクローズアップされて以来、依存性に関しても健康被害に関しても厳しい目が向けられている。

 

 米国CDC(Centers for Disease Control and Prevention:米国疾病予防管理センター)の資料によると、肺、口腔、咽頭といった喫煙に関連する部位のがん、および冠状動脈性心臓病は喫煙率の低下とともに有意に低下する相関関係が認められているという。

 

 同様の研究は数多く見つかるが、いずれにしろたばこに健康被害があることは、喫煙者も非喫煙者も承知しており、今さら過去の事例を持ち出す必要はないだろう。

 

 やや古い数字ではあるが、医療経済研究機構による1999年の推計として年間7兆3000億円の損失が喫煙によりもたらされているとの報告がある。この数字は平均の労働寿命が短くなることによる損失が5兆8000億円も見込まれており、合計の金額には疑問がある。

 

 しかし、仮に上記の見積もりが過大であり、“たばこ販売”による経済効果と、それに対する医療費増大や寿命短縮などのマイナスがほぼ同じ程度だとしよう。だが1999年以降、次々に喫煙および受動喫煙による健康被害が確実であるとの研究結果が発表されている。腹部大動脈瘤や歯周病はその代表例だが、国立がん研究センターは脳卒中や心筋梗塞に関しても、受動喫煙だけで有意にその確率が上昇するとしている。

 

 すなわち、1999年当時の医療費増大に関する見積もりは過小だったと考えられよう。加えるならば、飲食店などが全面禁煙化に反対をしているものの、全面禁煙化により外食ビジネスは伸びるという見方もある。

 

 国内の事例をひもとくと、かつて居酒屋チェーンの「和民」が2005年に全面禁煙を実施した際には、ファミリー層の利用者は増加したものの、一般サラリーマンや宴会需要が減少。売り上げがマイナスとなったため、分煙化へと舵を切った経緯がある。

 

 しかし当時に比べ現在では成人喫煙率は10%も低下した。一貫して喫煙率が低下し続けていることを考慮すれば、社会的な影響は少ない。

 

 そのうえ、“全面的に”禁止になるのだから利用者に選択肢はない。どの店に入ろうと店内ではたばこを吸えないのだから。

 

 ショットバーなど、たばこと酒が似合う場所は存続が危ぶまれるのではないか?との懸念もある。しかし、1995年にカリフォルニア州ではレストランやバーなどでの喫煙が禁止されたが、懸念のような事態には至っていない。建物の入り口から20フィート(約6メートル)以上、離れた場所でなければたばこが吸えないというルールも加えられているが、施行から20年以上経過して、当たり前のこととして認識されている。

 

 むしろ「安心してどんな店にでも入れる」ことのほうが歓迎されていると言えよう。毎年、何度もカリフォルニアには取材で出掛けているが、バーやクラブは客であふれかえっており、たとえばサンフランシスコのダウンタウンのようにビルが建て込んだ場所では、店の近くでたばこを吸う人間を見つけることすらできない。

 

 カリフォルニアでは喫煙所の設置さえ認められていないため、すなわちその地域ではたばこを吸う人間がいないということだ。ホテルはどこの部屋を取ってもたばこの臭いに悩まされず、禁煙のレストランで“吸いたくてソワソワする”人もいない。全面禁煙も20年以上経て、社会全体がたばこがないことになじんでくる。

 

 サンフランシスコでは屋外であっても、人が多く集まる公園、あるいは街頭フェスティバルなどでも禁煙化されており、もちろん100%ではないが、仕事で訪れるツーリストの視点からみると“たばこの煙がない街”に見えるまでになってきた。

 

最終学歴が高いほど喫煙率が低い

 

 米国CDCは2014年、最終学歴による喫煙率の違いという数字を発表している。米国の喫煙率は13.7%と低いことも理由としてはあるが、大卒以上で7.9%、大学入学で19.7%、高卒で26.4%、高卒未満で26.5%で最終学歴が高いほど喫煙率が低い。これは所得層による喫煙率の違いと読み替えてもいいかもしれない。“禁煙化”のほうが、より高い所得層が属しているうえ、全成人の8割以上が非喫煙者となれば、禁煙化がビジネス面で不利とは考えにくい。

 

 禁煙か喫煙可なのかといった、店が提供する商品・サービスの質とは異なる差異化要因が排除されることで、かえって純粋に店の実力での勝負となるため、飲食店であれば味やサービスのレベルが向上するだろう。

 

 冒頭の話題に戻そう。もし筆者が政府案に意見を述べるならば、飲食店への喫煙室併設は許容すべきではないだろう。新たに喫煙室を併設することによるコスト負担などの問題もあるが、喫煙室の有無という業務の本質から外れた差異化要因は排除すべきだからだ。

 

 飲食店の禁煙化は、2020年東京五輪を迎えるための準備(近年の五輪開催都市はいずれも公共の場における喫煙が制限されている)と言われている。もしそうだとするならば、世界でも有数のグルメ都市である東京をさらに観光資源へと昇華させるためにも、強い気持ちをもって禁煙社会を実現すべきだろう。

 

 さて、みなさんはこの問題をどう考えるだろうか。

 

 愛煙家と呼ばれる人たちは、喫煙する権利を守れと言うだろう。喫煙していた時期、筆者自身もそう考えていた。しかし、副流煙による受動喫煙が大きな健康被害を呼び、グローバルでの嫌煙ムードが広がっている中、社会的に向かう方向は定まってきている。健康被害にせよ、悪臭問題にせよ、分煙化が進んだ今でも他者に我慢を強いている日本の社会が、“分煙化すれば問題ない”という意見が幻想であることを示している。